「えっと、それで?あなたは?」
ここで漸く、第一王子・ゼニスがアシエに名を尋ねる。
先ほど、エル女史へとやったのとまったく同じことを繰り返し、自己紹介を済ます。
「では、貴方の仕事はここで終わりです。アシエ。ご苦労様でした。」
仮面のような笑顔を貼り付け、ゼニス王子はそう言い放つ。
何を言われたのか、理解できていないアシエは固まったままだ。
「どういう、意味です?」
時間をかけて出てきた言葉はそれだけだった。
「では…、ちょっとあちらへ…。エル女史、貴女もよろしいですか?」
「ええ。もちろん。喜んで行くわ、ゼニス王子」
「すみません。エル女史、それと…できれば、少しだけ待っていただけますか?」
「ええ。分かったわ」
エル女史は綺麗に微笑んでからオネストと、ついでにレイブンに声をかけ、三人一緒に隣の車両へ移っていった。
当然だが、僕とゼニス王子の二人だけが残された。
「やあ、アイリス。久しぶり…かな?」
そして、横一列の状態で会話をする。
「兄さん、いつからリッケイの仕事に就いていたんですか?」
「ああ、昨日からだよ」
「良く、国王陛下の許可が出ましたね」
「説得は私の特技だよ」
「何んでまた?」
「それは、レイン。お前を探すためさ」
彼は、王国府内の仕事を転々とこなしている。
経済部にいることもあれば、司法部にいることもある。
気分とタイミングが合えば異動するらしいが、何を考えているのかはわからない。
そして、恐ろしい事に全ての部署で最終的には歓迎されている。
「友達が出来たのか?」
彼は楽しそうに聞いてくる。
「はい」
「うん。良い事だ。列車の旅はどうだったんだ?楽しかったか?」
「はい。とても」
なぜ、兄さんが嬉しそうにしているのかが分からない。
「そうか。良かったな」
「兄さん」
「何だ?」
「首都にいたんじゃないんですか?」
「どうして?」
「新聞」
「あれは、首都を出る直前に答えたんだ。たまたま時間が空いたから」
「どうやって、ここまで?」
これが一番聞きたい事だった。首都にいる人間がどうしてこんなところにいるのか、僕にはわからない。
「飛行機、飛ばさせた。もちろん他の連中もな。だから、今回は少人数だ」
じゃなきゃ、追い付けないだろ。そうつけたしてから、小さな子どものように思いっきり笑顔になる。
「整備中だって怒られたけど、無理やり」
「さすがです」
呆れながらも僕は答える。
「だろう?ところで、レイン。どこへ行くつもりだったんだ?」
急に温度が下がった気がする。
兄さんの声が変化した。
「海を…見たかったんです」
「なら、何故俺に言わない?外出許可もとってやるし、大臣脅して、飛行機だって出せる。何で、こんな事をした?」
その声には怒りと同時に、どうしようも出来ない事への苛立ちも含まれていたように感じる。
「さっきの話は、本当か?」
「…本当です」
「なぜだ?金ならいくらでもあるだろう?」
そんなのは、良く分かっている。
メイドに何か欲しいものはと聞かれ、答えれば数時間もたたないうちに、部屋へと届けられていた。
それが、どんな無理難題でも届かなかった事はない。
「出たかったんだ…」
辛うじて音になったのはそれだけだった。
「出たかった?」
「はい。城を…首都を。いいえ。王家を出たかったんです」
「そんなに…嫌いか?王家が」
「…いいえ、別に」
首を振って、小さな声で返答する。
答えられるはずがない。そんな、悲しそうな声で聞かれたら、僕は本当のことが言えなくなってしまう。
「なら、どうしてだ。アイリス。何故ここまでして」
兄さんには、分かるはずがない。僕の苦しみを。僕が兄さんの苦しみを分からないように。
だから、僕はこれ以上兄さんが悲しまないようにしたいのだ。
なのに、ちっとも上手くいかない。
「言えません」
僕の一言に、兄さんは驚いたような表情をする。
キッ、と兄さんと視線を合わせる。
ポンと僕の頭に兄さんが手を乗せた。撫でるでもなく、ただ乗せるだけだ。
そして、ため息を一つ吐いてから、ポンポンと軽く頭を二回叩く。
「そうか、分かった。また後で話そう。少し待っていてくれ、レイン」
彼の言葉には答えずに、僕は俯いて床を睨みつける。
口の中が切れているらしく、血の味がした。
そういえば、殴られていた事を思い出す。殴られた頬が、ジンジンと熱い。
気を緩めると、涙が出そうになる。唇をかみ締め手を強く握る。
もう少し先まで行けると思っていたのに、意外に早く発見されてしまった。
細かい事に注意してまで行動していたのに・・・。
いったいどこで、ヘマをしただろうか・・・。
どうして、こんなにも早く…。
「兄さん、おとなしく城に帰ります。だから、一つだけお願いがあるんです」
パッと顔を上げ、一度目を合わせてから頭を下げた。
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