綺麗な空色の瓶はいつも空っぽだったけれど、赤い夕焼け色の瓶の中にはいつも白い紙が入っていた。それが、手紙だということを手にして初めて気づいた。
「ありがとう。それはね、妻に宛てた手紙なんだ」
部屋に入ったことだけを確認して話始めたマスターの前には、既にコーヒーカップが二つ並んでいる。
食器はもう下げてしまったらしい。
「僕の昔話を聞いてくれるかい?」
コーヒーカップを差し出され、目を合わせて問いかけられては、断る事はできない。
もっとも、最初から断る気はまったく無い。
こくり、と大きく頷いてからマスターの向かいに座った。
「僕は、妻にありがとうと言えなかったのが心残りなんだ。だから、毎日手紙を書くんだよ」
長いようで短いマスターの昔話。
静かな声でゆっくりと語られたその内容は、何の抵抗もなく涙を流させた。
「実はね、同じ話を詩望ちゃんにもしてるんだ。ちょうど、去年のクリスマス。逸貴くん遅刻してきただろう?」
「あ~、しましたね。遅刻」
末の弟が高熱を出し、出かけないでくれと駄々を捏ねられたのが原因だった。
あの時ばかりは次弟の存在に感謝したものだ。
理由を話すと、詩望は笑って許してくれた。ついでに、帰ってあげなとも言われたが、そこは次弟の存在を理由にどうにかして誤魔化した。
しかし、自分の中で今そんなことはどうでも良かった。マスターの手紙の話を聞いて、あるものの存在を思い出した。
彼女が死んでから届いた一通の手紙。
机の中の奥底で眠っているだろう手紙は一度も封を開けていなかった。
「スミマセン。マスター、オレ用事思い出したんで帰ります」
「ああ。外は寒いから、気をつけて帰るんだよ。今日はありがとう」
「はい。ありがとうございました。あの・・・」
「どうしたんだい?」
「明日も来ていいですか?」
「もちろん、待っているよ。逸貴くんが来てくれなきゃ、僕が歌理さん達に怒られてしまうよ」
「はい!ありがとうございます。じゃあ、また明日」
頭を下げてから、一気に走り出す。
彼女に、返事の手紙を出したかった。
彼女の手に触れることはないと分かっていても。
どうしても、彼女に伝えたい事があった。
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