「そういえば、雲さん来ないね?」
「ん~また、担当さんに捕まってんじゃない?」
雲さんもここへ通う常連だ。しかし、彼の場合はここにいる2人と違いしっかりと仕事をしている人だ。
小説家らしいのだが、何を書いてるかは教えてくれない、そして本名どころか、ペンネームも教えてくれていない。それは、オレだけではなく常連客たちみんなに対してもそうらしい。
ただ一人、マスターだけは彼の名前を知っている。
「そういえば、締め切りが近いって言ってたね」
「年末に仕事するなんて偉いなぁ。雲さん」
雲さんは締め切りが近くなると家から出て来れないらしい。
編集社の担当の人に外出を禁止されると、いつだか話を聞いた時があった。
「おや、一応僕も仕事をしているよ?」
笹帆さんの言葉にマスターがわざとらしく主張する。
「あはは、そうだね。ホントだ。マスターとイツ君も仕事中だね」
店内が笑い声で包まれる。
なんだか温かい雰囲気に包まれたここは居心地がいい。
ここにいると、彼女の事をたくさん思い出すけれど、それが苦にはならないのだ。
だから、時間が許される限りはここにいたい。
ギぃーっとドアが軋む音がして、全員の視線がそちらへと向く。
「あ、雲さん!」
歌理さんが、名を呼ぶと雲さんは少し表情を曇らせる。
「ごめん、歌理ちゃん。声が大きいよ」
「いっらしゃい。終わったのかい?」
「いや、まだなんだ」
カウンター席に座りながら、マスターに苦笑してみせる姿は少しカッコイイ。
「だから、逃げてきた」
「ああ、休憩は必要だからね。いつものでいいかい?」
「ありがとう、マスター。逸貴」
「はい?」
「良く似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
雲さんはこうゆう人だ。
さらりとすごい事を言う。そして、仕草の一つ一つがカッコイイ。
常連客3人がそろい会話は益々盛り上がりをみせる。
盛り上がると言っても、ここにいる全員が基本的なテンションが低いので、大騒ぎにはならない。時々、歌理さんの高くわざとらしい笑い声が響くくらいだ。
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