さくらの便り 16
100年以上も時が経っている桜はこれまで何度も枯れかけた。
その度に近くに住む人間どうし桜の木を助けてきたのだという。
最初は、その桜に栄養を集中させるためにまわりにあった他の木を切り倒した。
その次は、専門家に話を聞いて最も適した肥料をまいてやった。
人の重みが悪影響を与えると聞けば桜の周りに柵を作り
街灯が良くないと聞けば人間の視覚よりも桜の木を優先させた。
できる限りの間引きもしたし病気をさせないための予防もした。
なによりも大切にされた桜。
ずっと大切にされてきた桜。
何もかもを見守ってきた桜。
だが彼らの苦労空しく桜が過去にないほど枯れかけた。
ここ数十年での話だという。
今までやってきた全ての事が無駄で何の効果もなくもう駄目だと彼らは諦めていたという。
春が近くなっても花の芽が出ることがなくどことなく死に向かっている桜。
彼らは願い続けた。
桜が生き続けることを。
もう願うしかなかった。
ある晩、激しい雨が降った。
風も強く、誰もが桜の「死」を覚悟した。
きっと折れてしまうだろうと。
あそこまで弱ったあの桜はもうこの天気に耐えることはできないだろうと。
天気が回復した朝いちばん。
彼らは自然と桜の木に集まった。
無残な姿をしているだろうという覚悟をして。
あるものは声をあげて泣いていた。
あるものはしゃがみこんでそれを眺めていた。
あるものは天を仰いでいた。
あるものは隣に立つ者抱き合った。
あるものただひっそりとそれを噛みしめた。
全員が喜びに満ちていた。
もう駄目だと諦めた桜に幾つもの芽がついていた。
皆が信じられなかった。
生き返ったんだと喜んだ。
他の桜よりもいくらか遅れて満開になった桜は
それは、それは、美しいものだった。
皆が口をそろえて今まで見たきたどの桜よりも美しいと褒め称るほどに。
桜の花の下、集まれるものが集まって宴会が毎日のように続いていた。
失うことを覚悟したことでより一層桜へと執着が深まった。
絶対枯らすことはしない。だれもがそう誓った。
桜が散り始めてから数日。
近所に住む老人が行方不明になったと騒ぎになった。
だれもいつから見かけてないのか分からないと言う。
ずっと桜の木が気がかりで周りなど気にしていなかったと。
ほんのわずかだけ出た情報をつなぎ合わせれば老人は嵐の夜の晩には姿を消していたらしい。
きっと桜が枯れる姿を見たくなかったんだろう。
それを聞いた誰もが口を揃えてそう言った。
それで皆が納得した。
それほど、桜は彼らにとって大切な存在だったのだ。
いなくなった老人などだれも気にするものはいなかった。
それ以来、桜は何事もなかったように生き続けているという。
男の話が終わった瞬間何か良くないものを感じ取ったのを思い出す。
今考えるとそれは恐怖というものなのだろう。
話を聞いていた俺は幼いながらもその話の怖さに気が付いてしまった。
幼馴染は良く理解できなかったのか最後まできょとんとしていたが
俺はその場にいるのが嫌で、まだ話をしようとする幼馴染を置いて慌てて逃げ出した。
置いて行ってしまったことを
後でこれでもかというほど怒られ根に持たれていたのは言うまでもないことだろう。
その桜の木がテレビに映っていたのはそれから数日後の事だった。
どこか物々しい雰囲気が漂う番組。
決して桜の名所の中継ではなさそうだ。
ブルーシートで囲われた桜の木を背後にマイクを持った女性が話す言葉から聞こえてくる単語は
少年とか遺体とか。
すべてを理解できるほど言葉を知らなかった俺は母に頼んで説明してもらった。
今思えば、子どもにそんな説明をする母は他にいないだろう。
幼い子ども二人が桜の木の下から白骨化した遺体を発見した。
それがニュースの全容だった。
そして桜に名がついた。
人の血を奪いし生ける花と。
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